れこれ10年近くも前になるでしょうか。パキシルがSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という新しいタイプのうつ病薬として、大々的に宣伝、発売されてしばらくたったころ、今度はこの薬が神経症性障害にも適用の認可を受けたとして、当時私の勤めていた精神科病院で、製薬会社の人たちが意気揚々と説明会を開いたときのことを、今も昨日のことのように思い出します。

社側はさっそく神経症性障害の第一選択薬にパキシルを用いるモデルを提示し、それを聞いていた同僚の先生方も、早くも相手のペースにはまっている様子でした。

師という人種は、どうしてこう、おさなごのように、信じやすい人が多いのでしょうか。私はその場で、神経症性障害には、抗不安薬の中に特効薬と言ってよいほどよく効く薬があるので、それを差し置いてパキシルを第一選択薬にする必然性がないと発言しました。

は新薬というものに常に懐疑的ですが、これまでにも鳴り物入りの宣伝で発売された新薬が、しばらく時が経つと、重大な副作用を引き起こすことが判明するといった、お決まりのパターンを散々見てきました。しかし、説明会の空気の大勢は、もう新薬に夢中で、私の発言に聞く耳持とうという人はいませんでした。それどころか、みんな新薬を使ってみたいという気持ちでウズウズしているといった様子なのです。

て、時は流れ、今日の神経症性障害の治療の大勢は、製薬会社の人海戦術が功を奏したようです。裏でどんな宣伝、働きかけがなされ、どれだけのお金が流れたのか(あるいは、そんなことは全くなかったのか)知る由もありませんが(薬害エイズ訴訟、薬害肝炎訴訟の産、学、官の癒着の構造を思い出してみてください)、EBM(根拠に基ずく医療)を見ますと、たとえば神経症性障害の代表、パニック障害の治療は、まず、心理・社会的治療、次いで薬物療法とされていますが、後者では第一選択薬はSSRIで、それが効き始めるのに時間がかかるので、最初は即効性のベンゾジアゼピン(抗不安薬)を併用し、やがてこれを漸減中止する方法が勧められています。そして、多くの医師がこの方法を採用していることも事実なのです。(新聞・雑誌の神経症性障害の特集しかり、テレビの同様のテーマの番組しかり、多くのメンタルクリニックのホームページしかり)ーー何という狂気の沙汰! 医師の側も、何もかも上のご託宣にならえではなく、少しは自分の頭で物を考えることができないのでしょうか。

EBMはなぜ誤りなのか。私の外来にもパニック障害の患者さんは数多く来られます。そういう方に私は抗不安薬を処方して、次のように言います。「この薬を飲まないで、次に不安発作が起こるのを楽しみにしていてください。この薬は発作にほとんど百発百中でききますから。こうした発作は、一度経験して苦しい目にあうと、今度は、また起きたらどうしようという不安(予期不安)から起こることがしばしばなのですから、薬が発作によく効くことが納得できれば、今度は悪循環が断たれ、安心して、発作自体が起こらなくなるのです。こうして、薬をお守りがわりに持っているだけで、滅多に飲むことがないという治療が可能になるのです」

なたならどちらの方式を採用されますか。

の方式は、「患者さんの4段階」のステージ1、すなわち患者さんの最高の自立=卒業を目指すものです。しかるに、EBMの方式は、その薬の最初の導入の仕方からもわかるように、患者さんにいきなり必要かどうかもはっきりしない、強力な(しかも、副作用を引き起こす可能性の高い)SSRIを投与し、それの依存症を作り、薬の常用に陥れ、患者さんを高々ステージ2の、より低い自立に固定させようとするものだからです。患者さんの犠牲のもとに、利益をうけるのは、製薬会社と医師の懐のみです。

後に念のために付言しておきますが、私はSSRIは神経症性障害に無効であるとか、すべての服用例で、大きな副作用や依存が出現すると決めつけているわけではありません。しかるべき過程を経て開発されてきたのでしょうから、抗不安薬だけでは手に負えない、治療困難例でこそ、効果を発揮する期待は大いに持てます。そのときには、有害どころか、福音にもなりましょう。私が声を大にして言いたいことは、抗不安薬で済む、大多数の軽いケースにまでSSRIを第一選択薬として使うという、EBMの安易で、無節操な、まるで製薬会社の回し者のような姿勢が問題だということなのです。