日曜日(10月4日)の朝、テレビの「サンデープロジェクト」を見ていると、ショッキングなニュースが飛び込んで来た。中川昭一氏の急死である。享年56歳、自殺や傷害の可能性は低いという。今日としては、随分若い死である。今後、解剖して、死因を調べるというが、私にはすぐある可能性が思い当たった。つまり、アルコールによる死である。この人が財務大臣のとき、アルコールによるもうろう会見を開いて、世界中の笑いものになり、その後の衆院選で落選した経緯は、今も記憶に新しい。26年前、この人の父親、当時の自民党のニューリーダー、中川一郎が57歳で自殺したこともショッキングな事件であった。この場合もアルコールが絡んでいた。私のこれまでの人生において、親しい人や知人、患者さんなどで、大量飲酒者の5,60歳台の若い死を随分沢山経験している。アルコールという薬物は、やはり使い方を誤ると、大変な毒薬なのだ。(私のブログ「Memento mori」参照)
さて、「サンデープロジェクト」がどこかに行ってしまった。この番組は、最近、民主党が政権を取って以来、大変おもしろい。それだけ民主党の政治が精彩に富み、おもしろいということだろう。民主党は、惰性とマンネリに死にかけていた「サンデープロジェクト」という番組まで蘇らせた。今回のメーンテーマは「天下り」で、私が先の衆院選の比例区に1票を投じた「みんなの党」の渡辺喜美氏が立派な見識を示していた。
しかし、それ以上に圧巻は、久しぶりに中曽根前首相の話が聞けたことである(田原総一郎氏のインタビュー)。中曽根さんは91歳になるというが、歩行にいささか覚束なさがあるとは言え、カクシャクとして、特に頭には全く衰えを感じなかった。まさしく、私の理想とする、見事な年の取り方である。相変わらず、この人の見識は卓越したものがあり、一語一語に重みと深みがある。人物を見る眼力は、少なくとも政治家のレベルとしては、第一級のものではないかと思う。したがって、節目、節目のこの人の話というものは、闇夜の灯台のように、われわれの行く手を照らし出してくれるのである。
私がこの人に一番聞きたいと思っていたことを、インタビュアは質問してくれた。すなわち、民主党の政治についてどう思うかである。驚いたことに、返事は、「おとなしすぎて、アッと驚くようなところがない」というものだった。これについては、私はちょっと納得がいかなかった。確かに中曽根さんのやった国鉄、電電公社、専売公社の三つの改革は偉大なものであった。しかし、民主党の基本テーマ、すなわち、高級官僚が自分たちの利益と省益のために、政治と政策と予算をほしいままにするというような、本末転倒、逆立ちの日本国の姿を、根本から変革しようという意志は、おとなしいどころか、今日の日本の病患に対する、もっとも適切な処方箋であり、官僚の能力にひけをとらない政治家の出現を待って、始めて成しうるこの一大事業に民主党が一歩を踏み出したことには、中曽根さんの改革以上の重要な意義があるのである。それが理解できないとすれば、そこに中曽根さんの限界がある。しかし、言うまでもないが、改革は成就してこそ、偉大なのである。中曽根さんは巧妙な作戦のもと、彼の大仕事をついに成し遂げた。これほどの卓越した政治的力量を民主党の政治家たちに期待することは可能であろうか。多くの国民は、今、祈るような気持で、官僚の悪知恵と戦う民主党の政治家たちに、声援を送っていることであろう。
もとより、中曽根さんに完全無欠の人格者を求めることはできない。むしろ、ロッキード、殖産住宅事件、その他、暗い影も少なくないのである。しかし、われわれの生きた時代の最良の総理大臣、もっとも見事な総理大臣、安心して見ていられる千両役者となると、この人しかなかったという思いが強いのである。それは私の30歳台後半の5年間であった。うろ覚えだが、確かロン・ヤスのころの、この文人宰相の一句を引用しておこう。
したたかと 言われて久し 栗を剝く